縄文ポシェットさん、あけましておめでとう。
あけましておめでとう。お正月っていつもと違うことが盛りだくさんだよね!
でもなんでだろう?鏡餅やしめ飾り・・・そもそもお正月ってなんなの??
お正月には、いつもの日常と違ったしきたりや食べ物がたくさんありますが、それぞれに意味や歴史があることはご存知でしたか?
新年早々から、ひとつ賢くなって、よいスタートにしちゃいましょう!
目次
正月とは?
正月とは本来、1月そのものを表していました。
新しい年を迎えるにあたって、祖先の霊を供養したり、年神様をお迎えして新年のお祝いをしたり、五穀豊穣や無病息災を願ったりしてきたのです。
正月のお祝いをする期間で、正月飾りをつけておく「松の内」は、もともとは1月15日まででしたが、
江戸時代の寛文2年(1662年)の1月6日に、江戸幕府が7日に飾り納めをするようにと城下に通達したことから、7日までの地域が関東地方に多いのだと言われています。
正月を迎えるための準備の歴史~大そうじと飾り物~
正月の準備はたくさんありますが、とくに有名な大そうじと飾り物あれこれについてみていきましょう。
大そうじの歴史
「大そうじ」は、平安時代からあったといわれており、室町時代には12月27日に「すすはき(煤掃・煤払い)」を同朋衆がおこなったと記録されています。
現代ではすすがたまる家はあまりありませんが、当時の屋敷内では炭や薪、あかり用の油を燃やしていたので、すぐにそうじ用のほうきが真っ黒になりました。ほうきのすすを拭うための布が同朋衆に与えられていたのです。
「すすはき」が終わると、お祝いとして雑煮が出され、同朋衆や御美女と呼ばれる女中に酒が下賜されていました。
この雑煮に入れる餅は、幕府が信頼している専属の大草氏が調理したというので、特別なものであったと考えられています。
同朋衆というのは、将軍の身近に仕え、身の回りの雑事に従事する人のことで、美女というのは年中行事で、将軍が食べるものを調理する人のことだよ〜
現代でも「煤払い祝い」といって、煤払い後にお団子や餅を食べる風習がある地域があるらしいから、関係があるのかもね〜
江戸の大奥でも12月13日が「煤払い日」とされ、汚れを落として清めることで、年神様がより多くの福をもってきてくれると考えられていました。
現代では12月13日が「正月事始め」とされ、この日から大掃除をはじめるとよいと言われています。
門松
玄関に飾る門松は、年神様の目印です。門に左右一対飾り、室町時代に生命力の強い長寿をあらわす竹がプラスされたといわれています。
鎌倉時代に有名な随筆『徒然草』の第十九段には、
・・・追儺より四方拝に続くこそ面白けれ。〈中略〉大路のさま、松立てわたして、はなやかにうれしげなるこそ、またあはれなれ。
小川剛生訳注・兼好法師『徒然草』
とあり、京都の大通りに門松が並んでいる様子が書かれているので、遅くとも鎌倉時代の都では、門松が飾られていたのでしょう。
しめ飾り
しめ飾りは、神様がおいでになる神聖な場所につけるもので、しめ飾りのそれぞれのパーツに意味があります。
しめ飾りの縁起物の意味
- 注連縄・・・俗世と神の世界を隔てる結界
- 紙垂(しで)・・・清浄さや神聖さを表す
- 裏白(うらじろ)・・・裏が白いシダ植物の葉。清廉潔白さをあらわす
- 橙(だいだい)・・・ひとつの家系が代々まで栄えることをあらわす
- 譲り葉・・・家督を譲る、家系が絶えないことをあらわす
鏡餅
鏡餅は鎌倉時代からあるといわれており、お正月にやってきた神様の居場所「依代(よりしろ)」つまりショートステイ先になります。
さらに、神様の御魂の宿った鏡餅の餅を「御年玉(御年魂)」として家長が家族に分け与えることが「お年玉」のルーツとも言われています。
じゃあ、甥っ子にはおもちのかけらを・・・
正月の食べ物・飲み物の歴史
お正月には、普段は食べない特別な食べ物や飲み物がたくさんありますよね。
ここからはお正月の食べ物や飲み物の歴史や意味をみていきましょう!
お屠蘇とは薬膳酒
お屠蘇は、普通の酒ではなく、本来のお屠蘇は漢方のはいった薬膳酒のことでした。
正月の三が日に「天皇に薬酒を献ず」という記録があります。
おせち料理の意味
やっぱり正月といえばおせちですよね。
「おせち」とは、もともとは季節の節目(=お節)を祝う際に神様にお供えする料理でした。年中あったのですが、年間を通じて正月がもっとも重要なので、正月のおせち料理だけが残ったそうです。
おせち料理に保存食が多いのは、女性が家事をしなくてもいいようにというのはよく聞きますが、かまどの神様にお休みしてもらうという意味もあります。
日本人は八百万の神といって、さまざまなものに神様を感じていたもんね。
火がないと調理もできないし、かまどの神様もとても大切に思っていたんだろうね。
そうだね。正月に天皇が神様にお祈りする「四方拝」も山の神、海の神などさまざまな神様にお祈りするから四方なんだよね〜。
奈良時代では正月などの節句に天皇が役人を集めてお祝いする際に、高盛りのご飯を分け与えられましたが、これがおせち料理のルーツと言われています。
(※弥生時代ころの神様へのお供え物をルーツとする説もあります)
室町時代では、歳末の贈り物がおせちの材料になりました。
江戸時代に商人が裕福になってくると、おせち料理の具材が増えていきますが、まだまだ現代のようなかたちではなく、江戸後期~明治時代に重箱につめるようになり、”正月に食べる重箱に入ったご馳走のこと”を「おせち料理」と呼ぶようになったのは戦後のことでした。
重箱は、めでたいことや服を重ねるという意味があるんだって〜
さて、ここからは重箱の中身のそれぞれの意味を、一般的に多い三段重を例にとって見ていきましょう!
一の重
一の重は甘めの口取りと酒の肴を入れることが多いです。
例えば・・
一の重の中身
- 紅白かまぼこ・・・紅がめでたさや魔除けを、白が神聖さや清浄さをあらわす
- 伊達巻・・・巻物のような形なので知恵が増える、知性をあらわす
- 黒豆・・・まめに暮らす、勤勉に働くこと、無病息災を願う
- 数の子・・・ニシンの卵。子孫繁栄をあらわす
- 田作り・・・田んぼの肥やしになるほど多く穫れたため、五穀豊穣をあらわす
- 昆布巻・・・「喜ぶ=こんぶ(こぶ)」や「養老昆布」といって喜びや長寿をあらわす
- 栗きんとん・・黄金色から、金運UPや商売繁盛をあらわす
二の重
二の重は海の幸や焼き物、酢の物を入れることが多いです。
二の重の中身
- ぶり・・・出世魚なので、立身出世を願う
- 鯛・・・言うまでもなく、めでたいとの語呂合わせ
- 海老・・・腰が曲がるほど長生きをあらわす
- 紅白なます・・・水引のようなので祝いの意味
三の重
三の重は山の幸を多くいれることが多いです。
三の重の中身
- 蓮根・・・穴があいているので、先々の見通しが効くことをあらわす
- 里芋・・・親芋から子芋がたくさんとれるので、子孫繁栄をあらわす
- 八つ頭・・・頭となって出世ができるようと願う
- くわい・・・大きい芽がでるのでめでたさをあらわす
- ゴボウ・・・土の中に長く根をはるので代々続くように願いをあらわす
おせち料理は、海の物と山の物がまんべんなく入り、それぞれの食べ物に意味があります。昔の人がたくさんの願いや感謝を込めていたことがわかりますね。
現代では、3段重とはいわず、1段にまとまったものから5段などの豪華なおせちも販売しており、形式も具材もいろいろです。時代に合わせて変化はしていますが、正月を祝い楽しむためのご馳走であることは今も昔も変わらないのかもしれません。
七草がゆ
七草がゆは松の内最後の日、1月7日に7種類の若菜をいれて無病息災などを願う風習です。
七草がゆは、奈良時代に遣唐使によって中国から伝わったといわれ、5、6世紀の中国の書物『荊楚歳時記(けいそさいじき)』に「正月七日を人日となす。七種の菜をもって羹をつくる」とあります。
羹(あつもの)とはスープのことなんだけど、中国では穀物と菜を混ぜた粥のことをさす場合もあるそうだよ。
奈良時代に正月七日に七草の羹を食べ邪気を払う風習が広がり、宮廷行事のひとつになりました。
平安時代の書物『枕草子』にも、6日に若菜摘みを行ったという記述があり、室町時代では幕府に松尾社が若菜を献上した記録や公家が自邸で七種の若菜を食べる行事が行われていた記録があります。
また、邪気を払うという意味に加えて、冬場に不足しがちな野菜を食べて栄養補給という側面もありました。
現代では、正月の暴飲暴食で疲れた胃腸を休ませる意味の方が大きいかもしれないね。
おわりに~意外と忙しいお正月~
以上、お正月の歴史や食べ物・飾り物・大そうじの歴史や意味をみてきました。
お正月の歴史まとめ
- お正月に関わる準備や食べ物、飾り物、それぞれに歴史や意味づけがある
- 大昔から人びとは新年を無事に迎えられたことを感謝し、新しい年の幸せを祈っていた
- お正月は大昔から自然に受け継がれてきた、大きな伝統のひとつ
お正月休みとはいうものの、氏神さまにごあいさつに行く「初詣」や「年賀状」など、お正月って忙しいね〜!
そうだね。それほど昔から人びとは、たくさんの願いや祈りをこめて、お正月を祝ってきたんだね。