こう見えてパンが大好きなんだけど、日本人がパンを食べ始めたのはいつなの?
日本にパンがきたのは、大航海時代。いまから500年くらい前だよ。
世界では1万年前から食べられていたから、わりと最近だよね。
この記事でわかること
- 日本人とパンの出会い
- 江戸幕末、日本人で初めてパンを作った人物
- 明治時代、日本にパン屋が登場
- 近代化していく大正・昭和前半のパン
- 戦後のパン~現代のパン
メソポタミアからおくれること約9500年。
約500年前に日本に伝わってから現代に至り、パンはなくてはならないものとなっています。
約500年の間にパンと日本人との間に何があったのでしょうか?さっそくみてみましょう!
目次
日本人と麦の出会い
日本にパンの材料である麦が伝わったのは、紀元前300年頃つまり弥生時代のことですが、パンは作られることはありませんでした。
弥生時代だった日本で、麦は粒のまま炒ったり、お粥にしたりして食べられていた程度でした。
パンっぽいものを作ったとするならば、麦をつぶして焼いて食べる、無発酵パンのようなものだったでしょう。
稲作が広まっていったのは弥生時代だから、やっぱり日本人はお米が食べたかったのかもしれないね〜
奈良時代には、麦を使った「索餅(さくべい)」という素麺のもとになったうどん状のものがありました。
平安時代には、「餲餬(かつこ)」という麦の粉を練って油であげたものや「餛飩(こんとん)」という麦の粉をだんごのようにして肉をはさんで煮た、肉まんじゅうのようなものが存在します。
鎌倉時代には、中国から中身のないあんまんのような「饅頭(まんとう)」が伝来しました。
しかし、いずれもパンではありませんね。
日本人とパンの出会い
パンがもたらされたのは16世紀半ば、キリスト教宣教師の来日によります。
1543年にポルトガル人が種子島に鉄砲を伝えたときに一緒に持ち込まれたといわれており、
あの織田信長もビスケットを食べた?といった話が伝わっています。
パンは英語ではBread(ブレッド)ですが、日本人が「パン」と呼ぶのは、ポルトガル語の「パオ」からきているのですね。
しかし、パンはやってきたものの、キリスト教の禁教もあり、日本人には広まることはありませんでした。
江戸時代の記録によると、パンについては長崎出島のオランダ人と出島に出入りする人くらいしか知らなかった程度だったそうです。
長崎では、パンや航海用のビスケットが細々と作られていました。
日本で初めてパンを作った人
江戸時代後期の1840年、イギリスが清(中国)とのアヘン戦争に勝つと、欧米列強が日本にも攻めてくるのではないか、と幕府は警戒しだします。
戦地で米を炊くと、煙がたって敵にばれる危険性もあるので、携帯食としてのパンが注目されはじめました。
幕末になると、携帯に便利で、兵食として利用するために幕府の命令でパン作りが始まります。
天保13年(1842)日本で初めてパンを作ったといわれるのが、伊豆韮山の代官、江川英龍(江川太郎左衛門)という人物です。
彼が試作品として第1号のパンを焼いた日が
1842年4月12日。
当時のパンは、日持ちがするように水分少なめのカチカチのパンだったといわれています。
現在でも毎月12日はパンの日とされているんだって!
さらに水戸藩の藩医・柴田方庵が安政2年に長崎におもむき、パンとビスケットの製法をならったという記録もあります。
明治時代、日本にパン屋が登場
明治時代になり、欧米諸国から来日する外国人向けに、居留地のある地域から、パン作りが広まっていきました。
まず横浜に4軒パン屋ができ、長崎、函館、東京、神戸などが続きます。
日本ではじめてのパン屋は、横浜。
イギリス人のロバートクラークさんが日本に住むイギリス人のために、1864年にひらいた「ヨコハマベーカリー宇千喜商店」でした。
これはのちの「ウチキパン」になります。
パンの種類はというと、江戸末期はフランス人が多かったためフランス式のパン。
明治に入るとイギリスとの結びつきが強まったため山型のイギリスパンが主流になっていきました。
当初日本でのパンの作り方は、小麦粉にあまざけを入れてこね、箱形のオーブンは火鉢の上にのせて使い、箱の上にも炭をのせて上下から加熱したといいます。
日本独自のパンも続々と登場します。
代表的なのは、あんパン、クリームパン、ジャムパンでした。
あんパンは「木村屋」の初代・木村安兵衛が日本酒作りに使う米麹をパン種として開発したパンで、
明治8年4月4日に、奈良の吉野桜をあしらったあんパンが明治天皇に献上されました。
あんパンのほかにも、新宿中村屋が、シュークリームからヒントを得て、クリームパンを生み出したり、木村屋がジャムパンや軍用の乾パンを生み出すなどしました。
米騒動を引き起こした1890年の大凶作では、米の代替食として、パンに砂糖醤油をつけて焼いた「つけ焼きパン」が食べられたそうです。
近代化する日本の製パン~大正・昭和時代~
近代化工業化の流れは日本にもやってきて、1908年にはヨーロッパから生イースト(圧搾酵母)が輸入されます。
日露戦争や第一次世界大戦のときには、捕虜となったロシア人やドイツ人からそれぞれの国の製パン技術が日本へ伝わりました。
世界的にもイーストが工業化され、自家製のパン種を使ったパン作りからイーストを使ったパン作りへと日本でもシフトしていきました。
1913年、アメリカでイーストの作り方を学んだ田辺玄平によって国産イーストが開発され、
アメリカからフライシュマン社のイーストも輸入されるようになり、日本国内でも国産のイーストを製造する会社が設立されていきました。パンの品質も安定していきます。
日清製粉グループのオリエンタル酵母工業株式会社が日本初といわれているよ!
しかし、第二次世界大戦が勃発すると、パン作りどころではなくなり、戦中・戦後の食糧難の時代には、小麦そのものも不足していました。
戦後、アメリカから救援物資として小麦粉が届けられ、1947年からパンと脱脂粉乳+副菜の学校給食がはじまったこともあり、パン食は定着していきます。
現代日本のパン
高度経済成長期に入ると、1955年ころから全国に大きなパン工場が次々と建設され、パンの生産量は伸びていきました。
1964年の東京オリンピックも追い風となり、日本人の食生活も洋風化がすすみます。
1980年代には、冷凍パン生地の技術が発達し、パンの生産性や多様化にも繋がりました。
パンブームも断続的におこっており、1966年のドンク南青山店オープンによるフランスパンブームからはじまり、
デニッシュパン、フレンチトースト、クロワッサン、ベルギーワッフル、メロンパン、塩パン、高級食パン、ハード系のパン、ご当地パンなど様々なパンが登場し、社会に根付いていきました。
2000年代になるとパンの購入額がお米に追いつくという事態もおこります。
ずっと、白米が食べたい・・と生きてきたから、昔の日本人が知ったら驚くだろうね。
近年では、ホームベーカリーや手造りパンの人気は絶えず、
2020年はおうち時間が増えたため、パン作りブームがおこって小麦粉が一時品薄になったのは、記憶に新しいですね。
また甘い系のパンだけではなく、全粒粉などを使ったずっしり重たいハード系のパンやふすまを使ったパンなど、健康に気を遣ったパンの人気も広がっています。
日本人とパンの歴史まとめ
世界に比べると短い日本のパンの歴史ですが、明治以降あんパンをはじめとする独自のパンが開発され、さまざまなブームを起こしながら、
日本人に受け入れられ愛されていることが感じられます。
日本人とパンの歴史まとめ
- 日本人と小麦との出会いは弥生時代
- 弥生~鎌倉時代には、麦の料理はあったもののパンとは遠いものだった
- 戦国時代にポルトガル人によって日本にパンが伝わった
- 江戸幕末から、日本でもパン作りがはじまり、明治~大正~戦前にかけて近代化
- 戦後は食の洋風化、パンブームなどにより、パンが日本人に定着し愛されている。
バラエティ豊かで、老若男女に愛されるパン。
日本人といえば、お米ですが、現代日本人にはパンもなくてはならない存在なのですね。