人類がはじめて食べたものって何だろう?
旧石器時代といえば、マンモスを狩ってウホウホ・・と漠然としたイメージがある方が多いかもしれません。
現代では町でライオンに遭遇する危険はありませんが、登場した頃の人類はつねに肉食獣に狩られる危険と隣り合わせでした。
しかも地球は寒冷化しており、環境もとても厳しいものだったのです。
そのような状況の中、人類はどのようにして生き延びてきたのか?
そのカギは食にあります。
地球が寒くなっていき、食べ物も多くはなく、他の肉食獣に狙われる危険があって・・けっこうなハードモードだね
この記事でわかること
人類がサルからヒトに分かれた頃から、ホモ・サピエンスが世界中にひろがった頃までの時期(700万年前~2万年前頃)に、
わたしたちのご先祖は何を食べていたか、地球はどのような状態であったか。
目次
サルからヒトへの頃の食べ物
人類が登場した頃、つまりサルからヒトに分かれた頃というのは、700万年前~400万年前といわれています。
6550万年前に恐竜が滅びてから、いろいろな変遷を経て、霊長類が生まれ、人類へと分かれていきました。
サルからヒトへ分かれた頃の人類は、アフリカの熱帯雨林でぬくぬく木の上で暮らしていました。
木の上なら肉食獣におそわれる心配もありません。
食べ物は、昆虫、果物、若葉です。
おもに果実からエネルギーを、若菜からタンパク質などを摂取しました。
また直立二足歩行をはじめていたので、木から降りて、落ちた果実などを両手で抱えて持ち帰ることもありました。
木の上でとれる食べ物を食べていたんだね。
まだ平和なかんじがするね
アウストラロピテクスの食べ物
400万年前~200万年前になるとアウストラロピテクスの登場です。
アウストラロピテクスはアフリカの東部や南部に住んでいましたが、熱帯雨林の周辺部に住んでいたため、ぬくぬく暮らすことができなくなっていきました。
300万年前からの氷河期に入ったことによる寒冷化、乾燥化の影響で、熱帯雨林が小さくなっていき、主食であった果実が手に入らなくなっていったのです。
アウストラロピテクスたちは、果実、葉っぱ、ナッツに加え、木から降り、塊根(イモ)を掘って食べました。
それだけでは足りず、次第に、小動物や死骸、ライオンやハイエナの食べ残しの骨に残った肉や骨を石で割って、骨の中の髄なども食べるようになりました。
アウストラロピテクスの脳はわたしたち現生人類の35%、道具は石を使う程度でした。
/¥あれあれ?気候が寒くなって、ぬくぬく暮らせる木や果物が減ってしまい、地上に降りることになったんだね。
だんだんハードになっていってる・・
ホモ・ハビリスの食べ物
次に登場したのがアフリカ東部で発見されたホモ・ハビリスです。
そうだね。地上で食べ物を探すようになったとはいえ、夜は比較的安全な木の上で寝ていたのではないかと考えられているよ。
240万年前~140万年前に生活しており、最も最初期のヒト属といわれ、アウストラロピテクスから枝分かれし、わたしたち現生人類とはつながることなく絶滅したそうです。
食べ物は葉っぱ、果物、ナッツのほかに、カメやサル、ハイエナまで食べるようになっていました。
イモは掘り出すのに時間がかかり、食物繊維が多いので吸収できるエネルギーが少ないというデメリットがありますが、肉は効率よくエネルギーやタンパク質、内臓からはさまざまな栄養素が摂れます。
このように人類の祖先は、果実の減少による食料不足をイモと肉のコンビネーションという代替食で徐々に解決するようになります。
新しい食べ物を発見して、食べられるものを増やしていったんだね。
ホモ・エレクトスの食べ物
ホモ・ハビリスと重なる時期から出現したのがホモ・エレクトスです。
200万年前~11万年前(諸説あり)頃まで存在していた、つまりわたしたちホモ・サピエンスとも遭遇していた可能性があるという人たちです。
ホモ・エレクトスはアフリカのケニアからはじまったといわれており、頑丈型と華奢型がいますが、頑丈型はゴリラ並の握力をもつマッチョな人たちです。
アフリカケニアのトゥルカナ湖周辺では、魚、ワニ、カバ、カメなどを食べた痕跡がありますし、アフリカを出てヨーロッパへ到着したホモ・エレクトスは、ゾウ、サイ、クマなどの肉食が多かったといわれています。
ワニ、カバ、ゾウ、サイ、クマ・・・ってどれも巨大で、凶暴!
ホモ・エレクトスって、マッチョな人類なんだなぁ~!
ホモ・エレクトスの脳はわたしたち現生人類の75%ほどでしたが、道具はハンドアックス(握り斧)だったといわれているので、数人で協力していたとはいえ、毎回死闘を繰り返していたのでしょうか・・恐るべし。
またホモ・エレクトスは火をはじめて使用した人類でもあります。
火をはじめて使ったのもさることながら、
ホモ・エレクトスは、現生人類(今のわれわれ)ホモ・サピエンスよりも6倍ものあいだ種として存在していたともいわれているよ!なんかすごいよね。
そして、地球はどんどん寒くなりました・・
そう。ホモ・エレクトス、ネアンデルタール人、わたしたちホモ・サピエンスが登場した時代は、地球はどんどん寒くなっていた時代だったのです。
地球の気候は、23万年前頃に温暖期がピークになってのち、ゆるやかに寒冷化していきました。
12~13万年前には現代よりも温暖な期間はありましたが、周期的に寒冷化は進み、
7万年前のインドネシアにあるドバ火山の大大大噴火などを経て、
5万年前頃には極寒の最終氷期を迎えました。
ネアンデルタール人の食べ物
ネアンデルタール人は、わりと有名ですね。
ワニを食べるなど、マッチョなホモ・エレクトスの話をしましたが、ネアンデルタール人もかなりマッチョな人たちでした。
ネアンデルタール人といえば、死者に花をたむけた優しい人という話もありますが、実はライオンやハイエナも狩っていました。
ネアンデルタール人は、45万年前ころから4万年前(2万8000年前説も)頃に、中近東~ヨーロッパ全域に現れた人類で、ホモ・エレクトスと近い特徴があるため、ホモ・エレクトスのヨーロッパ種ではないかという説もあります。
ネアンデルタール人の食事は80%が肉食で、マンモス、サイ、羊、ハト、小動物、ノウマ、アカシカ、オーロックス(牛)といった中型大型動物がメインでした。
肉が好きだったからというわけではなく、ヨーロッパは荒れ地も多く、寒冷化のため植物だけでは生きていけなかったからでしょう。
ネアンデルタール人はホモ・エレクトスと同じで接近戦で獲物を仕留めていました。
時に、ライオンやハイエナも食べ、寒冷化が進み、食べ物がなくなってくると、魚も食べました。
食べ物の種類は、環境によってかなり左右されることがわかるね
ホモ・サピエンスの食べ物
アフリカのホモ・サピエンス
30万年前頃から登場したのが、わたしたちと同じホモ・サピエンスで、アフリカのモロッコあたりからはじまったといわれています。
ようやくきました!ホモ・サピエンス。
(わたしはポシェットだけど)この記事を読んでくれている君も、ホモ・サピエンスだよ!
アフリカにいたホモ・サピエンスの食べ物は野菜、果物、貝類、魚、狩猟肉、乳、穀物などでした。3分の2は植物性で、一日に約3000キロカロリーを必要としたそうです。
ホモ・エレクトスがワニを狩っていたトゥルカナ湖上流のオモ川では、ホモ・サピエンスはより安全な小型獣や鳥類、魚介類を捕って暮らしていました。
ホモ・エレクトスとホモ・サピエンスの食べ物の棲み分けができていたのですね。
17万7千年前頃からホモ・サピエンスは、アフリカ大陸を出ることを試みはじめ、7~8万年前頃に出て行った集団から世界中に拡散していきました。
世界中に拡散する道中では、シバムギ、インゲンマメ、エンドウマメを持ち歩いたり、ナガイモやウリ、野菜、昆虫も食べました。
気温は現在よりも数度低く、乾燥化が進んでいました。1万8000年前が大乾燥期のピークだったといわれています。
寒さと乾燥で・・厳しいなぁ。
ではこのような状況のなか、世界中に拡散したホモ・サピエンスは、どのように生き延びたのかみていこう。
寒い地域に行ったホモ・サピエンス
最終氷期の中でも、2万4000年前からはとても、さむい、さむい、最寒冷期でした。
1年中、冬です。
ヨーロッパなどの北半球の高緯度地域では、1年中2~3℃または氷点下であり、降水量も現在の10~20%とかなり乾燥していたと推定されています。
そんな極寒の中、ホモ・サピエンスはどうやって生活したのでしょう?
ホモ・サピエンスたちは、洞窟の中で寒さをしのぎ、冷凍保存した肉を、串刺しにして焼く、スープや粥なようなものを作るなどしていました。
また針と糸を使って、動物の毛皮を重ねて暖かい衣服を作りました。
ヨーロッパには、ネアンデルタール人もいましたが、アフリカの例と同じように、ホモ・サピエンスは植物性の食べ物、小型動物や魚貝類も食べていました。
そしてネアンデルタール人は、最終氷期の最寒冷期を前に、同じく肉食のライオンやサーベルタイガーなどとともに絶滅しました。
ネアンデルタール人よりも食性の幅が広く雑食性だったホモ・サピエンスは、同じく雑食性のヒグマと共に生き残ったのです。
このころ日本はどうなってたの?
日本にホモ・サピエンスが住み始めたのは、3~4万年前と言われています。
最終氷期の日本は、シベリアから北海道、九州まで氷河によって陸続きになっており、瀬戸内海も陸でした。
対馬海峡も幅が狭かったので、日本海は内海のようであり、北部には万年氷が張っていました。
気温は現在よりも7~9℃低く、東京が稚内と同じくらいの気温でした。
日本にはじめて来たホモ・サピエンスも洞窟などっで寒さをしのぎつつ、マンモスやナウマン象、ヘラジカなどを狩っていたと考えられています。
暖かい地域に行ったホモ・サピエンスの食べ物
以上のようにとてもとても寒い地域もありましたが、赤道付近はどうだったのでしょうか?
最終氷期には、氷河が海の水を溜め込むので、世界中で海面が100mも低くなり、東南アジアのインドシナ半島はひとつの陸に、ニューギニアとオーストラリアもひとつの大陸となっていました。
この地域には熱帯雨林がひろがり、サゴヤシ、サトウキビ、パンノキ、サトウヤシ、サトイモ、マンゴー、ドリアンなどが豊富にあり、海岸には海の幸もありました。
しかも、ニューギニア高地の4万9000年前~4万4000年前の遺跡から、ヤムイモやパンダナスなどを食用として利用していたことや、森林を切り開いて耕作をしていたこともわかっています。
極寒の地域と比べると、まさに楽園だね。
この時代に生まれたのなら、東南アジアやオセアニアに住みたいよ.
人類は何を食べていたのか?まとめ
これまでの内容をまとめると
人類は何を食べてきたのか?まとめ
- 人類の祖先は、木の上で昆虫・果物・若菜などを食べて暮らしていた。
- 食料が足りなくなったため地上に降り、イモと残り物の肉や骨を組み合わせて栄養をとるように。
- ホモ・エレクトスやネアンデルタール人は大型動物を仕留めていた。
- ホモ・サピエンスはエレクトスやネアンデルタールよりも雑食性が強く(他にも様々な要因はあれど)生き延びて現在に至る。