トウガラシって脇役のイメージがあるよね。
辛いの好きな人でなければ、なくても生きていける野菜かもしれないね。
しかーし!トウガラシって実はグローバルな奥深い歴史があるんだよ〜。
この記事では、トウガラシが世界にどのように広まっていったのかを中心に、グローバルで奥深いトウガラシにせまります。
目次
トウガラシを一番食べている国はどこ?
ではまず、2019年のトウガラシの生産量ランキングをみてみましょう。
乾燥トウガラシ生産量ランキング
1位:インド、2位:タイ、3位:中国、4位:エチオピア、5位:コートジボワール、6位:バングラデシュ、7位:ミャンマー、8位:ガーナ、9位:ベトナム、10位パキスタン
生のピーマンやトウガラシ生産量ランキング
1位:中国、2位:メキシコ、3位:トルコ、4位:インドネシア、5位:スペイン、6位:エジプト、7位:ナイジェリア、8位:アルジェリア、9位:アメリカ合衆国、10位:チュニジア
(GROBALNOTE 生産量 国別ランキング・推移より)
インドやタイ、中国は納得だな。
地域差はあれど、トウガラシが世界各地で作られていることがわかるね。
トウガラシの原産地
トウガラシは中南米が原産地といわれており、カリブ海地域から南アメリカにかけて「アヒ」と呼ばれていました。アンデス地方では「ウチュ」、メキシコや中央アメリカでは「チリ」と呼ばれていました。
現在のメキシコで栄えたアステカ王国では、都テノチティトランへの重要な貢納品のひとつとなっていたという記録もあります。
トウガラシの最古の栽培は、ペルーの中部山岳地帯で、今から1万年前ほど前の遺物が、またメキシコでも9000年前頃から栽培されていたことが知られています。
ペルーのチャビン文化(今から2800年前ころ)やナスカ文化(紀元100~800年頃)でも石碑や土器にトウガラシのモチーフが描かれていたことなどから、貴重で神聖な食べ物とみなされていたと考えられています。
トウガラシは世界にどうのように伝わったか?
ヨーロッパ(スペイン・イタリア・東欧諸国)
スペイン・イタリア
1492年、コロンブスは現在のドミニカとハイチのあるサン・サルバトール島に到着。4度もの航海の中で、カリブ海の周辺の島々、南アメリカなどを探索しましたが、黄金や当時ヨーロッパ人が求めていたコショウは見つかりませんでした。
しかしキャッサバ、ヒョウタン、タバコ、トウモロコシ、サツマイモ、カボチャなどと一緒に、
トウガラシを発見したのです。
1493年にはじめてトウガラシがヨーロッパ(スペイン)に持ち込まれました。トウガラシの風味のよさや薬効に加えて、スペインの気候にも適したことから、16世紀半ばころにはスペインのいたるところで栽培されるようになりました。
スペインからはイタリアにも運ばれ、スペインと緯度も似たような位置にあるイタリア南部では、現在もトウガラシがよく利用されています。
ハンガリー・東欧諸国
ハンガリーは何がすごいかというと
実は、トウガラシの仲間、パプリカの原産地なのです。
ハンガリーへは、トウガラシがスペインから伝わり、1541年から1699年までオスマン帝国領であったため、オスマン帝国からも伝わったと言われています。
野菜のなくなる厳しい冬でも、トウガラシを食べると身体の調子が整ったり、トウガラシをたくさん食べるためにより辛みの少ないパプリカが選別され、できあがったのかもしれないといわれています。
このハンガリー原産の辛くないトウガラシ・パプリカがボスニア・ヘルツェゴビナやルーマニアなど東欧諸国にも伝わったと考えられます。
アフリカ
アフリカへはポルトガル人によってヨーロッパを経由することなく、直接ブラジルから運ばれました。
その裏には奴隷貿易がありました。
ヨーロッパ人はアメリカ大陸で砂糖の原料であるサトウキビのプランテーションを行うために、足りない労働力として、アフリカから奴隷を連れてきました。
この奴隷貿易の際に、人だけではなく物の移動もあり、その中にトウガラシもありました。トウモロコシやキャッサバなどの現在もアフリカの人々を支えている食べ物とともにトウガラシも海を渡っていたのです。
そして1500年代前半にはサハラ砂漠以南の多くの地域で栽培され食べられるようになっていました。
現在、アフリカの辛いものが好きな国は、エチオピア・ナイジェリア・ガーナなどです。
エチオピアは、それほど栽培に適した気候というわけではないのですが、エチオピアの食べ物とよく合うため、かかせないものになりました。
エチオピアの食べ物は、インジェラという平たいパンにトウガラシと肉や野菜といったおかず(ワット)を包んで食べたり、コーヒーの青菜を煎じて飲む際にトウガラシをいれたりします。
このインジェラ、まずい!って話もきくんだけど、わたしは食べたことがないんだ。
このテフっていう粉でできてるらしいんだけど、ほんとにまずいのか試してみたいな。
ナイジェリア・ガーナも辛い料理が多い国なんだけど、キャッサバと肉や魚っていう単調な料理に、アクセントとしてトウガラシがたくさん使われるからなんだって。
アジア
インド・ネパール・ブータン
インドへのトウガラシの伝播は、1500年ころポルトガル船が関わった可能性があります。
ポルトガル船はインドに向かったはずが、ブラジルについてしまい、そこでトウガラシを発見。
ポルトガルはインド洋支配を強めていき、インドのゴアに拠点を置きました。ゴアはトウガラシの生産に適した気候であったため、ゴアを起点にしてインド全体に広まったと考えられています。
さらにインドからはポルトガル商人だけでなく、ペルシャ、アラブ、ヒンドゥーなどの交易商人たちによって、インドネシア、モルッカ諸島へとトウガラシは広まっていきました。
今日でもインドといえば、カレー、スパイス!といった辛いイメージがあります。
インドはもともとスパイスが豊富な土地でしたが、トウガラシ系の辛さが広まったのが、ほんの500年前だなんて驚きですね。
インドに隣接したネパールもトウガラシが欠かせない生活をしており、ブータンはトウガラシをスパイスとしてではなく、むしろ「野菜」として捉えているほどであるとか。
トウガラシが野菜!?ひえ〜
中国
中国のトウガラシの使用については、地域差や民族差が大きいと言われています。
トウガラシが中国に伝わったルートは3通り考えられていて、陸路と2つの海路があります。
陸路では、中央アジアからシルクロードを経て、中国西部の新疆、甘粛、西安へと伝わったルート。
海路その1は、スペイン人によってフィリピン経由でもたらされたルートです。
トウガラシの原産地であるメキシコと中国と交易のあるフィリピンに、スペインがちょうど拠点をおいていたからできたことだね。
海路その2は、インドのゴアを拠点としてポルトガル人がマカオを経由して広東省や広西チワン族自治区あたりに伝えたというルート。
中国では主に四川省や雲南省、貴州省などの内陸部でのトウガラシの消費が多く、辛いイメージの四川料理や豆板醤などが有名ですね。
韓国
韓国と言えば、キムチ。ともいえるほどトウガラシのイメージのある韓国ですが、トウガラシ革命がおこったのはたったの250年ほど前のことであり、意外なことに日本から伝来したという説もあるのです。
それは、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に持ち込まれたという説で、キムチもそれまではトウガラシなしで作られていましたが、1766年にようやくキムチのレシピに登場したことが確認されています。
日本人とトウガラシ
日本にトウガラシが伝わったとされる最も古い説は、ポルトガル人が1542年または1552年に持ち込んだという説ですが、さきほどの逆で、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に持ち帰ったという説まであります。
他にも諸説ありますが、僧侶の日記に記載があることから、安土桃山時代には日本に伝わっていたといえるでしょう。
江戸時代になると、トウガラシの利用はさかんになり、薬として使われ、次第に香辛料としても使われるようになりました。
しかし和食ってあまり辛いイメージはありませんよね。
そこで登場したのが、七味唐辛子なのです。
七味唐辛子はトウガラシのほかに、ケシの実、ミカンの皮、ゴマ、サンショウ、麻の実、シソ、海苔、ショウガ、ナタネなどが混ざっているもので、風味もよく強烈な辛さはありませんよね。
まさに日本が生み出したミックススパイスなのですね。
またトウガラシは、コショウよりもかつおだしの醤油味にマッチしたことで普及し、江戸時代半ばすぎにそばが普及したことにより、ブレイクしました。
明治時代にはいると、さらにトウガラシは利用されるようになります。文明開化の流れの中で、カレーが伝わってきたからです。
カレーとともにウスターソースも広まり、トウガラシは昭和初期には栃木や茨城で国産のトウガラシの栽培がはじまります。また第二次世界大戦後の朝鮮料理の浸透などにより、キムチなどにより親しむようになっていき、1980年代の激辛ブームやエスニック料理の浸透により、日本人にもより身近な食べ物になっていったのです。
現在も京都府の向日市では町おこしのための激辛商店街があったり、京野菜では、万願寺トウガラシや伏見甘長トウガラシなどの品種もあります。
まとめ
この記事のまとめ
- トウガラシは中南米原産
- 大航海時代の幕開けとともに、世界中に伝わる
- ヨーロッパに伝わると、ハンガリーでは固有の品種パプリカが生まれた
- ブータンではトウガラシは「野菜」という認識
- 世界各地にトウガラシを使った辛い料理があり、人びとに親しまれている